ちょうど1年経ったので:ノーベル化学賞2009解説—その3—

ここまで4人の仕事を解説してきたので,最後に「リボソームの構造と機能に関する研究」が生物学にどのような影響を与えたか,授賞のポイントとなったであろうインパクトについて解説する.

1. 基礎生物学的に大きな意義

今回の研究は,DNA→RNA→タンパク質という遺伝情報の流れの後半部分:RNA→タンパク質について,その詳細なメカニズムを明らかにした

RNA→タンパク質という情報の「翻訳」は全ての生物が持つ,最も基本的な生化学反応であり,そのメカニズムの解明はヒトに至る全ての生物に適用することができる*1

翻訳の際は,まずmRNAに30Sが結合し,mRNA上をスキャンして開始コドン=AUGを探し,AUGを見つけると30Sに開始tRNAが結合し,さらに 50Sが結合して70Sとなる.ここに順番にアミノアシルtRNAが運ばれてくることで翻訳が進む.これまでの構造解析により,30S・50S単独だけでなく,30SとmRNA,tRNA,70SとmRNA,tRNAなど,翻訳の各ステップに対応する様々な状態の構造が決定されたことで,その結合様式やコドンを3塩基ずつ読むメカニズムが解明されている.こうした研究の全てが,受賞者3氏によって先駆的に行われた

2. 構造生物学研究としてエポックメイキング

リボソームは,これまで原子分解能で立体構造が決定された生体高分子(複合体)の中で,最も大きい*2生体高分子の立体構造を詳細に解析することで,細胞内で起こる生化学的な変化を原子レベルで明らかにするという構造生物学において,ある種の極致とも言える研究となっている

2000年代に入ってからのノーベル化学賞の中で生物系の授賞は今回を含めて5回.2003イオン・水チャネル,2004プロテアソーム,2006RNAポリメレース,2008GFP,そして今年.この中で2003,2006,2009の3回が構造生物学研究に対する授賞となっている.2003,2006と比較しても,今回の研究はそれらと並ぶか上回るインパクトを構造生物学・生化学分野に与えたのは確実である.

3.抗生物質開発という応用的意義

細菌感染症は未だに大きな医学的問題であり,細菌に対抗するために抗生物質が利用されている.抗生物質の多くは細菌のリボソームに結合し,その機能をブロックすることで細菌を死滅させる.これまでの研究で,抗生物質が結合した状態のリボソーム構造が数多く解明され,抗生物質の作用メカニズムが明らかとなった.さらに,これらの知見は新しい抗生物質の開発の可能性を広げるものである.この理由はノーベル賞のプレスリリースにも掲載されている.


いつでも話題(問題)となることだが,ノーベル賞の枠=3人に対して,研究には4人以上が関わっていることが多い.今回の場合,Steitz,Ramakrishnan,Yonath,Nollerの4人がノーベル賞を争った.

Steitzはリボソーム構造として最初(50S),Ramakrishnanは全体=70Sとして最初だったため,ある意味当確だった.残る1枠がYonathとなるか,Nollerとなるかは,事前に予想していた時も人によって分かれるところだった.最終的にスウェーデンのカロリンスカ医科大学ノーベル賞委員会は,詳細な立体構造解明に直接的に関わったYonathを選択した.しかし,4人目の枠があれば,確実にNollerももらっていただろう.

未解決の問題たち

まだいくつかの問題が残されている.

リボソーム=リボザイム」?

残された大きな問題の1つにリボソームはリボザイムか」というものがある.通常,細胞内で化学反応を触媒しているのは,酵素と呼ばれるタンパク質である.しかし,RNAの中にも触媒活性を持つものがあり,これらはリボザイム(リボ=RNA,ザイム=酵素)と呼ばれている.

リボソームによるタンパク質の合成では,既に出来ているポリペプチドの後ろに,アミノ酸を転移する(つなげる)ことで,ポリペプチドが1つずつ伸びていく.この転移反応をリボソームが触媒していることは間違いない.そして,この触媒反応はおそらくリボソームに含まれるRNAによってなされている,ということは実験的に示唆されている.それでは,リボソームRNA酵素活性を持つリボザイムなのだろうか? これはリボソーム研究の有名な問題の1つだが,これまでの構造解析研究からは,リボソームがリボザイムとして働くという明確な証拠は得られていない.

「真核生物型リボソームの立体構造決定」

もう1つ,残された大きな問題に「真核生物型リボソームの立体構造決定」がある.これまでの研究で,細菌型リボソームの立体構造研究は大幅に進歩した.しかし,ヒトを含む真核生物と呼ばれる生き物達のリボソームについては,未だに立体構造が決定されていない.

細菌型も真核生物型も,基本的なタンパク質合成ステップは同じであるが,構成要素は大きく異なっている.さらに,真核生物のリボソームには,細菌以上に複雑な制御システムが存在しており,それは真核生物の遺伝子調節機構と密接に関連している.真核生物リボソームの構造決定の競争は,ノーベル賞を受賞した3人を含む世界中の研究者による競争となっている.


「誰が最初にリボソームの立体構造を決定するか」というレースは幕を閉じ,2009年のノーベル化学賞は,細菌型リボソームの立体構造を決定した3人に贈られた.

しかし,今なおリボソームの研究は続いている.

あとがき(2010-10-05)

今年の7月,真核生物である発芽酵母(Yeast)の80Sリボソームの立体構造がPDBに登録された*3.ついに真核生物のリボソームの構造も決定されたことになる.しかも,40Sリボソームや60Sリボソームという,部分ユニットではなく,いきなり全体構造である80Sから解明された.解明したのは,ノーベル賞を受賞した3氏ではなく,フランスのチームであった*4

リボソームを巡る構造解析研究は,次のステップに進む.それは,80Sリボソームと翻訳制御因子(翻訳開始・伸長・終結)との超分子複合体構造の解析である.真核生物が持つ複雑で精緻な遺伝子発現メカニズムを解き明かすことが,次の大きなテーマとなる.

2010-10-05現在,まだ真核生物リボソームの論文は公開されていないため,その内容については不明である.噂によると,分解能が高くないため,この80Sリボソームの構造だけでは,望まれる詳細な議論はできないらしい.しかし,この解析がきっかけとなって,真核生物リボソームや翻訳制御メカニズムの構造基盤の解明が急速に進むことは間違いないだろう.

*1:真核生物のリボソームは細菌・古細菌とは異なる部分も多いが,基本的な反応過程は同じと考えられている

*2:現在はリボソームより分子量の大きい生体高分子の構造も高分解能で決定されている(ウイルスなど).しかし,対称性の高くない超分子複合体としては未だにリボソームが最も大きいはずだ.

*3:3O2Z, 3O30, 3O58, 3O5H. Yeast 80S ribosome. 論文が公開されていないため,詳細情報にはアクセス出来ない.

*4:Yusupov Group