DNA-PAINTへの誘い #1:「次の数年、何しようか……?」

自分の将来についての好奇心と不安が入り混じった問いは、どんな世界に身を置いていても頭をもたげることがあるのではないかと思うのですが、ご多分にもれず自分も今から数年前、こんなことを考えていました。

まだ10年ちょっとですが、自分のこれまでの研究人生を振り返って見るに、大学院時代はRNAタンパク質複合体の構造生物学、学位取得後の1st ポスドクでは分野を大きく変えて、RNAサイレンシング複合体の1分子イメージングをやってきました。そしていま(2nd ポスドク)は、DNAナノテクノロジーを用いた超解像顕微鏡観察技術の開発をしています。当然のことながら、深い考えと明確なビジョンをもって研究テーマを選んできたというわけではなく、その時その時のやりたいことを選んできました。ただ、どんな生物学上の問題を解くかということよりも、どうやってその問題を解くか、という方法論により強い興味をもってきた気がしています。

そんな自分にとって、最初の問いの答えは「DNAナノテクノロジー × 超解像顕微鏡法」でした。

顕微鏡の発明と「回折の壁」

生き物が内包する目に見えない世界の存在に、人類が初めて気づいたのは17世紀のことです。イギリスの科学者ロバート・フックがコルクの中に見られる小さな小部屋を「細胞(Cell)」と名付けたのが1665年、オランダの科学者アントニ・ファン・レーウェンフックが湖の水の中でうごめく「微生物」を発見したのが1674年です。顕微鏡の発明は、これらを少し遡る16世紀末〜17世紀初頭なのですが、発明年と発明者については議論があり、現在でもはっきりとはしていません*1



アントニ・ファン・レーウェンフックの手による顕微鏡観察スケッチ。観察サンプルはトネリコの木(樹齢1年)の切片。

顕微鏡が生物学の歴史に登場して以来、生物そのものや生物組織、あるいは細胞のもつ微細な構造や挙動の観察は、生物学の基礎を担ってきました。光学顕微鏡による偉大な成果には、結核菌やコレラ菌といった病原体の発見、細胞分裂時に紡錘体が形成されることの証明、2016年のノーベル生理学医学賞を受賞した大隅良典・東京工業大特任教授によるオートファジーの発見などが含まれます。

しかし光学顕微鏡には、その発明以来越えられない壁が常に存在してきました。それは「回折の壁」、すなわち光の波長よりもずっと小さいものは、光の回折現象のために観察できないという物理的な限界です*2

光は波であり、波は回折します。光がもつ物理的な性質は、すべての光学顕微鏡において、見ることができる小ささの限界を規定します。しかし、光の回折により、無限に小さな点から出た光であっても、レンズで光を集め、像として結んだ時には、光の波長と同程度の大きさをもった円盤にまでしか収束しません。言い換えれば、観察サンプルがもつ微細な構造は、光の波長と同じくらいの大きさでぼやけてしまいます。

一般的に、通常の光学顕微鏡では200 nm(ナノメートルは1メートルの10億分の1)程度が観察できる小ささの限界です。一般的なヒトの細胞の大きさは10〜100 µm(マイクロメートルは1メートルの100万分の1)、ミトコンドリアや小胞体の大きさは<1 µm、その中で働くタンパク質や核酸の大きさは200 nmをはるかに下回ります。そのため光学顕微鏡では、細胞の中にある構造のすべてを捉えることはできません。どんなに顕微鏡技術が発達しても、光を使う限り「回折の壁」は原理的に避けられない、少なくともそう考えられてきました。

実際、光学顕微鏡では見ることができない微細な観察には、可視光よりも波長を短くすることができる電子を使った、電子顕微鏡が一般的に使われてきました。しかし電子顕微鏡には、生きた細胞を観察できない、分子の種類を見分けることが難しい*3、といった欠点があります。光学顕微鏡の波長の壁を突破する技術の開発、それは生物学者と顕微鏡技術者にとっての長年の挑戦でした。

この壁を突破する技術が「超解像顕微鏡法」です。超解像顕微鏡法は光学顕微鏡の「回折限界」を超えた分解能、具体的には、200ナノメートルよりも小さい分解能を達成します。

*1:有力な説の1つは、オランダのヤンセン親子が1590年に発明したというものです

*2:詳しくは>The Diffraction Barrier in Optical Microscopy | MicroscopyU

*3:電子顕微鏡で分子の種類を見分ける技術の開発についてもいくつか報告があります。例えば以下の研究。 http://www.cell.com/cell-chemical-biology/abstract/S2451-9456(16)30357-9

もっと細かく、より深く

皆さん、ご無沙汰いたしております。いま、私はアメリカ・マサチューセッツ州ボストンにあるハーバード大学ヴィース研究所(Wyss Institute)のPeng Yin研究室でポスドクとして研究しています。

現在の研究テーマはざっくり言うと、DNAをツールとして使って、新しい顕微鏡テクノロジーを開発し、それを使って細胞核の中にある染色体の姿を細かく見てみよう、というものです。真面目に書けば、「DNAナノテクノロジーを用いた新規3D多色1分子局在顕微鏡法による細胞間期染色体構造の解明」です。

ヒトゲノム解読、バイオインフォマティクス、iPS細胞、次世代DNAシーケンサー、ゲノム編集。21世紀の生物学は、テクノロジーの進歩によって飛躍的に発展してきました。そしていま、これらに続くブレイクスルーの波が、生物学に押し寄せています。それが顕微鏡テクノロジーです。

ボストンに引っ越して、今日でちょうど2年が過ぎました。ちょうど区切りがよいこともあり、このブログを復活させる手始めとして、顕微鏡のいまと未来について、自分の研究も交えて解説してみようと思います。キーワードは「もっと細かく、より深く」。どうぞよろしくお願いします。


写真はDNAオリガミで作られたグリッド基板の超解像顕微鏡観察像。スケールバーは20ナノメートルを表す。

<続報>NASAによる「ヒ素DNA細菌発見」は間違っている?

半年ほど前に話題となったNASAの研究チームによる「リンの代わりにヒ素をDNA中に取り込む微生物が見つかった」という報告ですが,発表の直後から科学的な批判にさらされてきました.

そしてついに先週の金曜日,元の論文が掲載された科学誌Scienceに,他の研究者から寄せられた8つの批判と,それらに対するNASAチームの再反論が掲載されました

今回も詳しい解説記事を書く時間がないので,批判のポイントを一枚の画像(表)にまとめてみました.半年ぶりに「ヒ素DNA細菌」のお話です*1


Comment on "A Bacterium That Can Grow by Using Arsenic Instead of Phosphorus"
「リンの代わりにヒ素を使って生育することができる細菌」へのコメント
Steven A. Benner
David W. Borhani
James B. Cotner and Edward K. Hall
István Csabai and Eörs Szathmáry
Patricia L. Foster
Stefan Oehler
Rosemary J. Redfield
B. Schoepp-Cothenet, W. Nitschke, L. M. Barge, A. Ponce, M. J. Russell, A. I. Tsapin
Science. May. 27, 2011.

*1:内容に間違いがあればご指摘いただけると幸いです.

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生き物のデザイン:微生物への着陸船

Enterobacteria phage T4.壁紙画像(1920x1080)はこちら
Michael D, Jones氏作成のSVGデータを改変して作成しました.この画像のライセンスはCC BY-SA 3.0に準拠します.


アポロの月着陸船や宇宙探査機にも見えるこの物体.実は細菌に感染するウイルス,通称ファージの立体図です*1.正十二面体の形状を持つヘッド(頭部)と円盤が積み重なったテイル(尾部)の2つの部分からなり,さらにそれぞれは,細かいパーツが組み合わさってできています.これらの形は,電子顕微鏡などを用いた長年の研究により明らかにされました.ヘッドの中身(DNA)以外は,すべてタンパク質製です.ファージなどのウイルスを生き物と捉えるかどうかは意見の分かれるところですが,生き物のデザインの一部であることは確かです*2


このファージ,テイルファイバーと呼ばれる部分を使って大腸菌などの細菌の表面に「着陸」し,シース(鞘)の先端にあるベースプレート(基盤)を突き刺して,ヘッドの中に詰まっている自身のDNA(ファージゲノム)を細菌内に注入します.まさに,微生物への着陸船です.

こうして注入されたDNAからは,書かれた遺伝情報をもとに,新しいファージのパーツとなるタンパク質がつくられます.同時に,DNA自身も大量に複製されます.準備された新たなファージのパーツたちは,勝手に(自律的に)集まって組み立てられ,ヘッド部分にDNAが取り込まれます.高さ200ナノメートル,幅60ナノメートル.アポロ月着陸船の高さが6.37メートルですから,およそ3000万分の1の大きさです*3.「自己組織型ナノマシン着陸船T4バクテリオファージ」と考えると,なかなかかっこよく見えませんか?


完成した新たなファージは,細菌を破壊して飛び出し,新たな感染標的を探す旅に出ます*4.ナノの世界の着陸船は,かなり攻撃的な侵略船なのでした.


ファージが細菌に「着陸」するまでの再現CG動画↓

*1:正式名称はバクテリオファージですが,ファージと略して呼ばれます

*2:ウイルスについては,自分自身だけでは複製に必要な部品を調達できず,単独で増殖することができないため,生き物とは見なさない,という立場が一般的です.一方で,生き物と同じようにDNAやRNAでできた遺伝情報をもち,タンパク質や脂質からなる部品で構成されています.進化の過程で,複製に必要な要素を削り落として作られた生き物がウイルスではないか,という説もあり,生き物のデザインの一部に組み込まれていることは確かです.

*3:wikipedia:アポロ月着陸船

*4:溶菌と呼びます.一方,細菌のゲノムDNAに自身のDNAを挿入して居座る,という「溶原化」と呼ばれる現象もあります.今回,トップの画像に使ったT4 ファージは溶原化ステージを持たないので,感染しては溶菌させるだけです.

生き物のデザイン:大きいものだけを通す孔

Potassium channel KcsA from Streptomyces lividans in high concentration of K+

緑色の球はカリウムイオン,赤色の球は水を表している.

壁紙サイズ(1920x1080)の画像はこちら


ナノの世界で生き物を見ている私にとって,「生き物らしさ」と言われて思い浮かべるものは,自然が創り出したデザインの美しさです.今日はそんなデザインの中から,教科書にも載っている有名なものを1つ取り上げてみようと思います.


どんな生き物でも,細胞の中や外は色々なイオンが溶けた水溶液に満たされています.例えば,カリウムイオンは,細胞の内側の方が,外側より30倍濃い濃度で保たれています.ナトリウムイオンはその逆です.30億年以上前に,生命が生まれた時の原始の海(生命のスープ)を表しているのではないか,とも言われています.

細胞は脂質でできた膜に囲まれているので,イオンが勝手に出入りすることはありません.そこで細胞は,イオンが通るための孔を準備しています.細胞膜を貫通している,チャネルやポンプと呼ばれるタンパク質がその孔です.この孔を使ってイオンの出入りを調節することで,エネルギーを作り出したり,脳から筋肉に信号を伝えたり,とさまざまな生命現象を生み出しています.例えば,オジギソウに触れると葉が閉じるのも,イオンの出入りが引き起こす現象です.

ところでこの孔=チャネルやポンプは,決まったイオンしか通さないという性質があります.何でも通してしまう孔では,細胞の内と外でイオンの濃度の違いを生み出せなくなってしまうからです.カリウムチャネルは,カリウムイオンだけを通し,ナトリウムイオンは通しません.


でも,どうやって?


これは長年の謎であり,難問でした.なぜならば,カリウムイオンはナトリウムイオンよりも大きいからです.小さいものだけを通す孔なら,単に孔を小さくすればよいだけの話です.しかし,大きいものを通し,小さいものは通さない孔,というのは,どうやったら作ることができるのでしょうか?

答えは,カリウムチャネルの孔のかたちにあります.一番上に載せた図が,原子レベルで見たカリウムチャネルの立体構造です.イオンは,周りに水を従えることで,初めて安定化して水の中に溶けています(水和と言います).狭い孔を通るとき,イオンは周りにある水を脱ぎ捨てなければなりません.


カリウムチャネルがもつ孔の一番狭い部分(選択性フィルタと呼びます)は,酸素原子を含む「カルボニル基」という原子団が飛び出しています(図の先端が赤い棒です).孔の大きさは,カリウムイオンにちょうどよいものとなっているので,カルボニル基が4方向から,水の代わりにカリウムイオンを包みこむことで,イオンが水を脱ぎ捨てて通過できるようにしています.一方,この孔をナトリウムイオンが通ろうとすると,カリウムイオンよりも小さいために偏ってしまい,うまく水を脱ぎ捨てて通過することができないのです[→補足参照].

カリウムチャネルは,同じタンパク質が4つ一組になって働きます.外側は,細胞膜を貫通できるように作られており,4つが集まった中央部分に,カリウムイオンが通る選択性フィルタの孔が開くようになっています.こうしたカリウムチャネルの仕組みは,細菌からヒトまですべて共通して使われているのです.長い生き物の進化の中で,この仕組みがずっと生き残ってきたということを意味しています.進化というたった1つの方法で,まるで人工物のようにその目的と用途にあったかたちと機能を獲得する.まさに,自然が創り出した「デザイン」と言えるのではないでしょうか?


ちなみに,カリウムチャネルの謎を初めて解き明かした,アメリカの科学者Roderick MacKinnon教授は,2003年にノーベル賞を受賞しました*1.I'm not a scientist.というこのブログのタイトルは,MacKinnon教授が講演で話した言葉からの引用です.「あなたが解いたカリウムチャネルの構造は,私が今まで見た中で一番美しいタンパク質構造だと思う」と言ったら,彼は笑っていました.


[補足]5/15 20:50追記
カリウムチャネルは選択性フィルタのおかげで,カリウムイオンをナトリウムイオンの1000倍通しやすくなっています.つまりカリウムイオン1000個を通す間に,間違えてナトリウムイオンを1つ通してしまう,という正確性です.細胞内外のイオン濃度の違いを維持するためには,1000倍の選択性があれば十分ということですね.

被ばくすると,人体に何が起きるのか?

2011-03-19追記
林松涛([twitter:@tao1tao])さんが,本記事を中国語に翻訳してくれました.
被ばくの不安を抱えている在日中国人の方や,日本に家族・親族・知人がいて心配されている中国の方に,中文版の記事を広めていただければと思っています.

「受到核辐射,对人体有怎样的影响?」 - ときどき中国
通俗易懂的说明。[twitter:@tao1tao]将其中文。核电站日益稳定,可能是马后炮了。


地震で被害を受けた原子力発電所では,今なお安全を確保するための作業が続けられています.その一方で,多くの方が「被ばく」への不安を抱えているのではないでしょうか.

原子炉で何が起きているのか,被ばくしても大丈夫なのか/危ないのか,被ばくしたらどうすればいいのか.こういったことについて,ネット上にも様々な解説が掲載されています.その一方で,

そもそも「被ばく」すると人体に何が起きるのか
なぜ「被ばく」は危ないのか or 「被ばく」しても大丈夫なのか

こういった点については,説明をあまり目にしません.

私は,福島第一原発の状況を考えて,最悪の事態になってもチェルノブイリ級の事故*1が起きるとは思っていません.しかし「チェルノブイリみたいにならないから安心しろ」,「被ばくは健康に問題ない程度だ」とだけ言われても,信用できないと思う方も多いかと思います.

なぜ専門家たちは「被ばくしても問題ない」というのか
その予想はどういう科学的根拠に基づいているのか


このブログ記事では「もし福島第一原発チェルノブイリ級の事故が起きたら」という無理やりな仮定をもとに,被ばくした人に何が起きるのかを[twitter:@popeetheclown]が考えてみました*2

この記事は,被ばくについて皆さんに何かをアドバイスすることを目的とはしていません.ただ,「何が起きるのか分からない」という未知に対する恐怖を,「何が起こるかはイメージできる」という既知のリスクに変える手助けになればと願っています.誤りや科学的に適切ではない部分があれば,ご指摘いただけるとありがたいです.

  1. 必要な前提知識
  2. もしもチェルノブイリ級事故が今の福島で起きたら
  3. 作業員におよぶ被害:確定的影響
  4. 私たちが受ける被ばく
  5. 放射線が人体に与える影響
  6. 私たちにおよぶ被害:確率的影響
  7. まとめ

*1:チェルノブイリ原子力発電所事故の経過 ATOMICA(Googleキャッシュ).

*2:免責事項です.このブログ記事によって生じた結果には責任を負いません.しかし,内容自体の信頼性は,私自身に対する信頼性により担保されます.私は原子核物理学や原子力工学の専門家ではありませんが,国家資格である第1種放射線取扱主任者の試験に合格しており,放射線に関する一定の知識を保有しています(試験合格後に定められている指定講習を受けていないので,主任者の資格はまだ得ていません).また,大学院において構造生物学・生化学を専攻し,博士(理学)を3月に取得見込です.

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<速報>リンの代わりにヒ素をDNA中に取り込む微生物が見つかった

NASAが宇宙人を発見か?」と話題になった「宇宙生物学上の画期的な発見」とは,「リンの代わりにヒ素をDNA中に取り込む微生物が見つかった」というものでした.

詳しい解説記事を書く時間はないので,発見のポイントを一枚の画像にまとめてみました.世界的大ニュース(?)に合わせて,久しぶりの更新です.


A Bacterium That Can Grow by Using Arsenic Instead of Phosphorus
「リンの代わりにヒ素を使って生育することができる細菌」
Science. Dec. 2, 2010.

発見のインパク

これがなぜ大発見なのか,というと…

まずは背景知識.

  • DNAは地球上に存在するほぼ全ての生物が基本的に持っている
  • 遺伝情報を利用し,子孫に伝えるためにDNAが利用されている
  • 生物の大部分は,水素(H),炭素(C),窒素(N),酸素(O),リン(P),硫黄(S)の6つの元素から出来ている*1
  • DNAは,水素(H),炭素(C),窒素(N),酸素(O),リン(P)の5元素からなり,例外はなかった*2
  • リン(P)とヒ素(As)は周期表で同じ15族(列)に属し,似た化学的性質を持っている

そして,「DNA中のリンがヒ素に置き換わっている」とは

  1. こんな重要なDNAを,HCNOP以外の元素でも作れるかもしれない
  2. 生物を形作る基本6元素を置き換えることができるかも
  3. もしかしたら,生物の基本的構成単位にリンではない元素を利用する生物が,宇宙にいるかも
  4. もしかしたら,↑みたいな生物が,昔の地球にはいたのかも
  5. そもそも,生物にとって毒性が強いヒ素を単に利用しているというだけでなく,DNAの中に取り込んでいるとは!

という驚きを秘めています.

「これってすごいの?」と思われる方は多いと思いますが,生物学者的にはびっくりです.なぜなら,DNAほど生き物が共通して使っているものはないからです.それほど重要で,だからこそ例外の少ないDNAについて,骨格部分がリンではなくヒ素に置き換わっている生物がいるとは,大発見だと思います.

今回の発見について,これからの展開としては

  • どうして,リン酸エステル結合よりずっと不安定なヒ酸エステル結合を使えるのか?
  • どこまでリンの代わりにヒ素を利用しているのか?(DNAだけでなく,RNA代謝系も?)
  • こういった微生物は他にもいるのか?(近くの環境で見つからないか)
  • どうしてヒ素を利用するのか?(リンを使う生き物から変化したのか,否か)
  • ヒ素で汚染された土壌の浄化など,応用に使えないか?

といったことが期待されます.

さらには

  • 進化の過程で,どうやってDNAが生まれ,生物が利用するようになったのか?
  • 生物にはどれくらいのバリエーションが許されるのか?(特に生体分子の元素利用に関して)
  • 宇宙空間における生命の探索空間はどれほど広がるのか?

といった,より面白い&難しい問題にもつながっていくと思います.


そもそもどんな研究をしたのか?

時間がないくせに,ちょっとした論文解説も書いてみました.今回は,論文の流れをポイントだけまとめてみました.抜けが多数ありますが,ご容赦ください.

  1. カリフォルニアにあるモノ湖(塩湖,水中のヒ素濃度が非常に高い)からGFAJ-1と呼ばれる微生物を発見した
  2. GFAJ-1を,リンを全く含まず,代わりにヒ素を含む人工培地(+As/-P)で培養することに成功した
  3. ヒ素ではなくリンを含む培地(-As/+P)で培養することもでき,この方が生育速度は早かった*3
  4. 先の人工培地からヒ素を除く(-As/-P)と生育できないことから,わずかに混入しているリンでは生育には不十分だと分かり,ヒ素が生育に使われている可能性が高まった
  5. +As/-P培地で培養したGFAJ-1は,ヒ素をリンの7.3倍含んでいた(リンを含む培地で培養すると,ヒ素はリンの0.002倍しか取り込まれない)
  6. 質量分析から,+As/-P培地で培養したGFAJ-1に含まれるリンの量では,DNAのリン酸骨格を維持できない
  7. NanoSIMS*4を用いた同位体分析により,+As/-P培地で培養したGFAJ-1から抽出したDNAには,ヒ素が多く含まれることが分かった
  8. 放射光施設でのX線実験(XANESとXAFS*5)により,GFAJ-1に含まれるヒ素を分析した.
  9. XANESの結果から,GFAJ-1に含まれるヒ素は,酸化数+3のヒ素(As(III))ではなく,酸化数+5(As(V))であることが分かった
  10. これは,ヒ素がリン酸(PO_4^3-)と同様にヒ酸(AsO_4^3-)になっている可能性が高いことを示している
  11. XAFSの結果からGFAJ-1に含まれるヒ素は,酸素と結合し,リン酸の代わりにDNA骨格に取り込まれている可能性が高いことが判明した
  12. GFAJ-1細胞全体をNanoSIMSで観察した結果からも,GFAJ-1の細胞内にはPではなくAsが大量に含まれていた
  13. 以上の結果をまとめると,+As/-P培地で培養したGFAJ-1に含まれるヒ素は,酸化数+5の状態で,As-O-C(ヒ素-酸素-炭素)の共有結合で結ばれた状態として,細胞内の生体分子に含まれている


ここからは私の個人的な感想ですが,おそらくこのGFAJ-1は,リンも十分に利用出来る環境ではリンを使い,ヒ素しかない環境ではリンの代わりにヒ素を使うこともできるという微生物なのでしょう.DNAのリン酸骨格がヒ素に置き換わっているとは,本当に驚きです.DNAの骨格に利用されているということは,代謝系なども,例えばATP(アデノシン三リン酸)ではなくATAs(アデノシン三ヒ酸)となっているのではないかと考えられます.

生物はどうやって生まれたのか?」「生物はどうして,今ある生物の姿となったのか?」これが生物学の本質的な問いだと思います.しかしながら,全てに共通して利用されているシステムは,システム完成以前の情報が何も残されていないために,それを想像するのも難しい状況です.DNAにリンではなくヒ素を利用する生物の発見は,DNAによる遺伝情報システムがどうやって生まれ,今の形となったのか,そして生物の拡張性(進化の余地)がどれだけあるのかを探る上で,とても重要な意義を持っていると思います.

補足

ヒ素が生物にとって毒性を持つのは,ヒ素がリンに似ているために,誤って取り込まれることが原因(らしい).特に大きな影響を及ぼすのは,エネルギー産生系における酸化的リン酸化酵素反応の競合阻害だそうです.

リンは共有結合半径106 pm,ファンデルワールス半径180 pm.
ヒ素共有結合半径119 pm,ファンデルワールス半径185 pm.
両者とも電気陰性度*6が2.2程度で,非常に似た物理化学的性質を持っています.この類似がヒ素の毒性にもなるし(リンとの競合阻害),DNAのリン置換可能な理由にもなるわけです.

関連書籍

*1:例えば,カルシウム(Ca)やカリウム(K)といった無機物も生物に必須であり,量もリンよりは多い.しかし,これらの元素はイオンとして溶液中に含まれているものが大半で,生体分子(特に高分子)の基本的な構成要素とは言えない.

*2:タンパク質は,基本的に水素,炭素,窒素,酸素,硫黄からできている.修飾によってリンを含むこともある.

*3:ヒ素がないと生きていけない生物ではなく,リンもヒ素も,どちらも利用出来るということ.

*4:High-resolution secondary ion mass spectrometry.極微小領域における同位体存在比が分かる.

*5:X線吸収微細構造.X線の吸収スペクトルから試料中の成分や,その化学的状態を分析することができる.和歌山ヒ素カレー事件でのヒ素の科学鑑定にも利用された.wikipedia:エックス線吸収微細構造

*6:ポーリングの式による