『人工細菌誕生』の論文を解説してみる:その2(Mmゲノムの人工合成)
これから2回のエントリで,実際に行われた実験内容と結果について解説する.専門的な内容が続き,つまらないかもしれないが,実験内容の理解なくして,意義の理解はありえないので,ご容赦願いたい.
研究に使った細菌
この研究には,2種類の細菌が登場する.
- Mycoplasma mycoides(以下Mmと略す)
- マイコプラズマ・マイコイデス.マイコプラズマ属の細菌の1種.MmゲノムDNAを人工合成して移植した.wikipedia:マイコプラズマ
- Mycoplasma capricolum(以下Mcと略す)
マイコプラズマ属は,数ある細菌の中でもゲノムサイズがとても小さい,つまりDNA全体の長さが短いことで知られている.ゲノムを人工合成・組立てする際に,合成するDNAがなるべく短い方が実験難易度が下がるため,今回の研究ではMm,Mcの2種類が選ばれた.2008年の論文では,ゲノムサイズが世界最小の細菌であるM. genitaliumが使われていたが,この細菌は増殖が遅く,実験を行う上で時間がかかるため,より増殖の速いMmが使われることになった.
差し当たっては,「Mm = ゲノムのドナー(提供者),Mc = レシピエント(移植先)」ということを覚えておけば,これからの話を理解するには十分である.
研究の流れ1:Mmゲノムの人工合成
図1.Mmゲノムを人工合成する4ステップ
前提として,MmゲノムのDNA配列は既に解析され,全体の配列が決定されていた.
Mmゲノムの長さは約100万 bp*1(1 Mbp).ヒトゲノム(30億 bp)と比べたら小さいが,通常の生物学実験で扱うDNAとしてはとても長い.当然,一気にMmゲノムを人工合成することはできない.そのため,4ステップ:1k → 10k → 100k → 1Mbpという順に部分合成し,Mmゲノム全体を作り出した(図1).
Step 1: DNAカセット(1 kbp)の合成
まず,コンピュータ上にあるMmゲノムの配列データを基に,1 Mbpのゲノム全体を約1 kbp x 1000個のフラグメント(カセット)に分割した(図1).
次に,このMm DNAカセットを化学合成した*2.
Step 2: 10 kbp中間体の合成
図2. 1 kbpから10 kbpの中間体を作る
それぞれのMm DNAカセットの両端は,隣接するカセットとオーバーラップするように作られている(図2A).このカセットたちの中からDNAの位置が連続するもの10種類と,直鎖状DNAベクター*3をまとめて酵母の中に導入した.
酵母の中でオーバーラップ領域が組換えられることで,DNAカセットは順番通りに繋がっていく(図2B,相同組換え*4).こうして10個のカセットが繋がった10 kbpの中間体100種類を得た*5(図2C).得られた中間体のDNA配列が正しいことは,100種類全てについてDNA配列を読むことで確かめた.
Step 3: 100 kbp中間体の合成
Step 2と同様に,今度は10 kbpの中間体のうち,位置が連続するものを10種類まとめて酵母の中に導入し,組換えた*6.こうして,100 kbpの中間体11種(全体をカバーする)を作製した.10 kbpの中間体が正しく繋がったかどうかは,完成した産物の長さをチェックすることで確かめた.
Step 4: Mmゲノムの人工合成
最後に,100kbpの中間体11種を酵母に入れて組換えることで,完成体の人工合成Mmゲノムを作製した.
Step 4では,100 kbp中間体に混入していた酵母のゲノムDNAが,中間体の酵母への導入効率を大きく下げることが分かった.そこで,混入物を取り除くために,複数の方法で100 kbp中間体を精製*7したことが成功の鍵となった.
このようにして作製したMmゲノムの中には,間違って繋がったものも含まれている.PCR法*8や制限酵素処理の切断パターン*9から,100 kbp中間体が目的通りに繋がった正しい「人工合成Mmゲノム」を選びとった.
(その3に続く)
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[追記:2010年6月6日]
図2の解説が間違っていたため,図を改訂するとともに説明を修正しました.指摘してくださった[twitter:@poccopen]さんに感謝します.
*1:bpとは塩基対の意.DNAの長さを表す
*2:正確には,化学合成だけでは100塩基程度の長さのDNAしか作れない.そのため,化学合成とPCR法を組み合わせて,1 kbp程度の長さのDNAフラグメントを合成している.お値段は1 kbp当たり400ドル程度.参考:人工遺伝子の受託合成Mr. Gene
*3:単にDNAを大腸菌や酵母,その他の細胞に導入しても,そのままでは維持されず,細胞分裂と共に消失してしまう.ここでは,細胞内で安定に維持・増幅されるような特殊な配列を持つ人工DNA=ベクターを利用し,目的のDNAとつなげて実験操作を行っている.wikipedia:ベクター
*4:同じ配列を持つDNA同士が組み換わる現象のこと.DNA損傷に対する修復機構として,様々な生物の細胞がこの機構を持っている.ここでは,酵母が持つ相同組換え機構を実験に利用している.もともとのMmゲノムが持つ配列をオーバーラップ領域として利用しているため,組換え後に余計なDNA領域が残るわけではないことに注意.詳しい解説については次のウェブサイトを参照のこと.Gap-Repair cloningを使おう!
*5:酵母内で組換えにより連結させた後,大腸菌に移して,正しい長さの中間体ができたクローンをピックアップした.
*6:100 kbp中間体は大腸菌中では安定に保持されない.そのため,酵母への導入だけで全ての実験操作を行った.
*7:100 kbp中間体が環状DNAであるのに対し,混入している酵母のゲノムDNAは直鎖状DNAである.このトポロジーの差異を利用し,アガロース電気泳動によって環状DNAのみをトラップ・直鎖状DNAを流し切ることで混入物を分離.その後,環状DNAを回収した.
*8:100 kbp中間体同士を結合したジャンクション部分にプライマーを設計し,正しく繋がったかどうかを確認した.
*9:制限酵素とは,ある配列のDNAを特異的に認識し,切断する酵素のこと.ある制限酵素によってMmゲノムが切断されるパターンは決まっている.これを利用して,いくつかの制限酵素で合成したMmゲノムを処理し,予想通りの切断パターンが得られるものを「完成品」と判断した.