『人工細菌誕生』の論文を解説してみる:その4・最終回(『人工細菌誕生』は何がすごいのか?)

これまでの2回の解説で,人工ゲノムの合成法とその移植について,実験内容の概略を説明した.

最終回の今回はいよいよ,この論文解説の中心である「『人工細菌誕生』は何がすごいのか」について解説する.

考察:「人工細菌誕生」という研究の意義


 結果の後に続く考察のポイントは6つある.

  1. 遺伝子工学の信頼性
  2. 開発した手法の汎用性
  3. ゲノム情報だけで生命は動くのか?
  4. 合成生物学への応用
  5. DNA合成費用のコスト低下
  6. 生命倫理

この中で,特にポイントとなるのは「1. 遺伝子工学の信頼度」「3. ゲノム情報だけで生命は動くのか?」の2つだ.


1. 遺伝子工学の信頼度

遺伝子工学において,DNAの配列を解読する「精度」は非常に重要である.この精度が,作り出した遺伝子やゲノムがどこまで正しいかという信頼性を決める.

一般に,真核生物のDNA複製のエラー率は10^-6 - 10^-8と推定されている*1.つまり,1回のDNA複製で,100万塩基から1億塩基辺りに1塩基間違えるということを示している.

DNAの化学合成や今回のような人工ゲノム合成は,真核生物のDNA複製と比べてはるかに間違いを起こしやすい.よって,出来た不良品だらけの人工合成ゲノムの中から,いかに正しいものを選び出すか,ということが研究において重要になってくる.この正しいものを選び出す方法こそ,DNA配列解読つまりDNAシーケンスである.DNAシーケンスの精度が,遺伝子工学全体の信頼性を決定していると言える.

1995年の時点では,DNAシーケンスの精度は10^-4,つまり1万塩基あたり1つのミスは見逃すという程度の精度だった.今回,人工合成した100万塩基のMmゲノムのうち,dnaA遺伝子に含まれていた,たった1つの間違いが致命的であることを発見し,それを除去することができた.つまり,DNAシーケンスの精度は10^-6(100万分の1)を上回っている.すなわち,ゲノム人工合成が生命体に匹敵するレベルの信頼性に達したことを意味している.

未だに,遺伝子工学・遺伝子改変といっても,生物が持っている細胞システムに比べれば間違いが多く,複雑なことはできない.しかし今回の研究は,ゲノム合成という生命システムの中核を担う部分について,生命体レベルの信頼度を得たことを示すものであり,人類のある1つの到達点を指し示す結果だと言える.

2. 開発した手法の汎用性

今回の論文は,マイコプラズマ属のM. mycoidesM. capricorumに限定した研究である.この2種が非常に近い種であるから移植が可能だったのであり,近縁種間の移植でなければ移植自体がうまくいかないと考えられる.例えば,より離れた種である大腸菌に人工合成Mmゲノムを移植しても,大腸菌に必要な遺伝子でMmゲノムにはないものが多く,遺伝子発現システムも異なる部分があるので,おそらく移植はできない*2

しかしながら,ゲノムを分割して人工合成し,それを別の細胞に移植するという手法自体には汎用性がある.M. mycoidesM. capricorum以外の組み合わせでも,様々な生物種のゲノム移植やゲノムデザインに利用可能だろう.また,今後はゲノム人工合成する際に遺伝子を改変することで,より遠い種間の移植であっても移植可能となるかもしれない.

3. ゲノム情報だけで生命は動くのか?

『人工細菌誕生』の論文を解説してみる:その1で次のように書いた.

一方,ヴェンターらはトップダウン的アプローチから問題を提起した.それは「生命を制御するには,ゲノム情報だけで十分か?」という問いだ.
(中略)
彼らは個々の遺伝子に注目するのではなく,ある生物の持つ遺伝情報の総体=ゲノムを丸ごととして捉えた.その上で,「生命を制御するには,ゲノム情報だけで十分か?」という問いを,「人工的に作り出したゲノムを移植した『容れもの』が生命として振舞うか」という実験的に検証可能な問いに置き換えて,今回の一連の研究を行った.

この「人工細菌誕生」の生物学的意義は,「人工的に作り出したゲノムを移植した『容れもの』は生命として振舞う」=「生命を制御するには,ゲノム情報だけで十分である」ということを明確に示した点にある.これこそが,私が考えるこの論文の最大の意義である.

ヴェンターらは「人工合成したゲノムによって生きている細胞=人工細胞」と呼んでいる.

We refer to such a cell controlled by a genome assembled from chemically synthesized pieces of DNA as a “synthetic cell”, even though the cytoplasm of the recipient cell is not synthetic.


我々は,化学的に合成されたDNA断片を組み合わせたゲノムによって制御される細胞のことを,たとえ移植先細胞の細胞質が人工合成されたものでなくても,「人工細胞」と呼ぶ.

ここで,人工細胞とは,必ずしもゲノム以外の部分(細胞質など)が人工であることを必要としていない.今回,レシピエントとなったMc自体は普通の細菌であり,人工合成したものではない.当然,人工合成ゲノムを移植しても,その直後にゲノムの周りにあるものは,元からあったタンパク質やRNAである.

しかし,人工合成Mmゲノムだけを持つMc細菌は,Mmゲノムを基にしたタンパク質やRNAを作り出す.細菌が分裂を繰り返すごとに,元々あったタンパク質などは人工合成Mmゲノムから作られたものに置き換わり,相対的に希釈される.31回以上分裂した細胞は理論上,人工合成ゲノムから作られたタンパク質分子だけを持つ(※補足).よって,人工合成ゲノムによってコントロールされている細胞の性質は,細胞全体を人工合成した場合と同じだと予想される.ヴェンターらは論文中で次のように表現している.

The properties of the cells controlled by the assembled genome are expected to be the same as if the whole cell had been produced synthetically (the DNA software builds its own hardware).


合成ゲノムによって制御される細胞の性質は,細胞全体を人工合成したものの性質と同じであると予想される(DNAソフトウェアはそれ自身のハードウェアを構築する).


補足細胞分裂時に,元々の細胞質が均等に分配されると仮定すると,30回分裂した細菌が持つ「元々の細胞質」は2^-30=10^-9,およそ10億分の1である.直径1 μmの細菌の体積は5.2*10^-19 [m^3]であり,比重を1.0とすると質量は5.2*10^-13 [g].30回分裂した細菌が持つ「元々の細胞質」の質量は5.2*10^-22 [g]となる.例えば水H2Oの分子量が18,アボガドロ数が6.02*10^23であることを考えると,この質量中には,元々の細胞質に含まれていた水分子が1つ含まれるか否かくらいである.よって,31回以上分裂した細胞には理論上,元々の細胞質を構成していた分子は1分子も残らない.

4. 合成生物学への応用

これ以降の考察は論文中でもおまけ扱いである.

人工合成ゲノムや人工細胞を合成できるようになったことは,他の合成ゲノムや合成細胞を作る研究者達にとっても,元々あったDNAや細胞と自分たちが作り出したそれとを見分ける上で必要不可欠な技術となる.人工ゲノムを作り,それを元々あったゲノムと区別できたという結果を活かして,他の研究者たちも同様の技術を用い,合成ゲノムや合成細胞研究を行えるということである.

5. DNA合成費用のコスト低下

今回の手法が一般化されれば,合成生物学(細胞を創ることを目的とする分野)において,人工ゲノムの構築・合成・移植といったことがもはや困難なことではなくなる.

今回行った一連の実験の中で,最もコストが掛かるのは必要なDNAフラグメントを化学合成する段階である.かつては,DNA配列解読もコストと時間の掛かる作業であった.しかし,次世代シーケンサの登場により,大量のDNA配列を低コストで解読することが可能となった.次に望まれるブレイクスルーは「DNA自体の合成コストの低下」である.シーケンス並みに合成コストが下がり,それが自動化されれば,合成ゲノム科学に広く適用可能な技術となるだろう.

6. 生命倫理

今回の研究では,ヴェンターらは初期段階から人工生命についての倫理的な議論を推進してきた.今回の研究がさらなる哲学的課題を呼び起こすことを予想するとともに,著者らは対話の継続を奨励している.


補足:生命倫理の話題については,以下の論評で詳しく議論されている.英語だが,非購読者も全部が読めるので興味のある方は参照されたい.Challenges of our own making. Nature.

まとめ

「DNAソフトウェア(情報)はそれ自身のハードウェア(細胞)を構築する.」結局は,これがヴェンターらのこの研究における主題であり結論である.「人工細菌誕生」と騒がれたが,多くの生物学者はこの研究で「生命が創造された」とは考えていないし,おそらくヴェンターらもそう思っていないだろう.それよりも,ゲノム科学の観点で捉えた時に,生物学的な意義の深い研究だと私は思う.

今回の研究について注意するべきなのは,あくまで最も単純な細胞であるマイコプラズマ属に言えることであって,より複雑なシステムを保持している真核生物(ヒトなど)には必ずしも当てはまらない.より複雑な細胞システムでは,DNA配列としての情報だけでなく,他の形でも情報が保持されることが既に分かっている.また,今回の結果もマイコプラズマ属間の移植でのみ成り立つのであって,より離れた種では移植できないということは,ゲノムだけでなく,細胞それ自身の持つ性質(情報)も無視できないことを意味している.

今回の研究は,「コンピュータ上でデジタルデータ化されたDNA配列のみを基に,化学的に合成したDNAを用いて,完全な遺伝子システムを再現できる」,「最も単純な生命を制御するのには,ゲノム情報だけで十分ある」ことを示した.この結果は予想されていた通りであり,驚くような結果ではない.しかし,予想することとそれを実証することは全く違うそして,このような方法で実証できると考え,実行したところがヴェンターの科学者としての先見性であり,凄みでもある.だからこそ私は,この論文が教科書に掲載され,科学史に残るような業績だと考えている.

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 以上で,4回に渡る「『人工細菌誕生』の論文を解説してみる」も終わりです.質問・感想等がありましたら,コメント欄か[twitter:@popeetheclown]宛へどうぞ.ここまで読んでくださった方へ感謝します.ありがとうございました.

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*1:以下を参照のこと(英語).DNA Replication Fidelity. The Journal of Biological Chemistry.

*2:例えば,大腸菌はペプチドグリカンからなる細胞壁を持っているが,マイコプラズマ属の細菌はこのような細胞壁を持っていない.したがって,Mmゲノムを大腸菌に移植しても,その大腸菌はペプチドグリカンを作ることができず増えることができない.