『人工細菌誕生』の論文を解説してみる:その2(Mmゲノムの人工合成)

 これから2回のエントリで,実際に行われた実験内容と結果について解説する.専門的な内容が続き,つまらないかもしれないが,実験内容の理解なくして,意義の理解はありえないので,ご容赦願いたい.


研究に使った細菌

 この研究には,2種類の細菌が登場する.

  1. Mycoplasma mycoides(以下Mmと略す)
  2. Mycoplasma capricolum(以下Mcと略す)

 マイコプラズマ属は,数ある細菌の中でもゲノムサイズがとても小さい,つまりDNA全体の長さが短いことで知られている.ゲノムを人工合成・組立てする際に,合成するDNAがなるべく短い方が実験難易度が下がるため,今回の研究ではMm,Mcの2種類が選ばれた.2008年の論文では,ゲノムサイズが世界最小の細菌であるM. genitaliumが使われていたが,この細菌は増殖が遅く,実験を行う上で時間がかかるため,より増殖の速いMmが使われることになった.

 差し当たっては,「Mm = ゲノムのドナー(提供者),Mc = レシピエント(移植先)」ということを覚えておけば,これからの話を理解するには十分である.

研究の流れ1:Mmゲノムの人工合成


図1.Mmゲノムを人工合成する4ステップ

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『人工細菌誕生』の論文を解説してみる:その1(はじめに&研究の経緯)

 5月20日アメリカの科学論文誌Scienceに「人工細菌誕生」という論文がオンライン掲載された.
Creation of a Bacterial Cell Controlled by a Chemically Synthesized Genome
Gibson. D. G. et. al. Science. May. 20, 2010 (online)

 この研究成果のインパクトは相当なもので,日本でもTVや新聞で取り上げられた(読売新聞の記事).しかし,日本語媒体の解説記事では「人工生命の誕生に近づく成果」「テロに悪用される危険や、自然界にない生命体が実験室から逃げ出す可能性」(読売新聞の記事より)など,研究が及ぼす影響についての話題だけが先行してしまっていて,そもそもどんな研究成果なのか,つまりどういう経緯で研究が行われ,何が進歩したのかを詳しく解説しているものは見当たらなかった.

 そこで,元論文をなるべく詳しく解説することで,より冷静に,しかし驚きを持って「人工細菌誕生」という研究成果の意義とインパクトを知ってもらいたいと考え,私はTwitter上での論文解説を試みた.
Togetterまとめ『人工細菌誕生』の論文を解説してみる


 今回,Twitter上での解説を土台にして,加筆・訂正を加えてブログ記事としてもう一度まとめ直すことにした.

 この論文が示した研究成果は,例えて言うならば「既にあるOSと同じものを,中身を理解しないまま真似して作り,別のOSで動いていたパソコンにインストールして入れ替えた」というようなものだ.ブラックボックスはそのまま残されているし,新しい生命を創り出したわけではない.

 それでもなお,この論文は間違いなく教科書に掲載され,科学史に残る論文だということを私は確信している.この論文の何がすごいのか,どれだけ新しい知見をもたらしたのか,を提示することが本解説の目的である.

 私は「人工細菌誕生」の研究が含まれる,合成生物学と呼ばれる分野の専門家ではない.そのため,以下の論文の解説や解釈には誤りが含まれているかもしれないことを先に断っておく.内容の間違いに気づいた方がいれば,ぜひとも指摘をお願いしたい.

  • @popeetheclown
    • この記事の執筆者.生物学(特に構造生物学・生化学)を学ぶ大学院生.合成生物学の専門家ではない.
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